探偵小説 ケース2 「初恋の人」


探偵小説 ケース2「初恋の人」

 

新しい年を迎え、初詣に出かけていた時、調査員の携帯電話が鳴った。

携帯電話の画面には、080から始まる知らない番号。

オフィスに誰も居ない時は、調査員の携帯電話に転送の設定を行っているので、

調査員は直ぐに察知し、電話に出る。

 

電話から聞こえてくる若い女性の声。

なんだか困っている様子で、どうしても今日中に依頼をしたいとのこと。

調査員は手短に初詣を終え、オフィスへ向かった。

調査員がオフィスに着くと、5分ほどで若い女性が入ってきた。

女性は30代前半。ベージュのコートを着たその女性は

「新年早々に、大変申し訳ございません。」

ととても上品な感じで、ゆっくりと頭を下げた。

 

依頼内容は、“初恋の人を探してほしい”

 

年配の方からの“初恋の人探し”は結構あるが、30代の女性からの“初恋の人探し”は初めての依頼だった。

 

話を伺うと、昨日の大晦日に交際相手からプロポーズをされた。

彼の事は愛しているし、彼のご両親とも良い関係、断る理由は何一つないので、

プロポーズをお受けしました。と女性は言う。

ただ、年が明け今日になって、一つだけ心残りがある事に気づいた。

それは、“初恋の人”。

初恋と言っても、幼少期の初恋ではなく、青春時代に初めて交際した相手の事だった。

当時、2人は中学生で、親に内緒で交際をしていた。

内緒にしていたのは、親だけでなく、お互いの友人たちにも交際している事を隠していた。

今となってみると、なぜ隠していたかは理由がわからないが、お互い子供だったので、ただ単に恥ずかしかっただけだろうと思う。

と女性は言う。

 

しかし、2人の交際期間は短かった。

交際期間は約1ヶ月。2人の別れは突然だった。

 

別れの言葉もないまま、彼が突然、引っ越しをしたのである。理由は、詳しくは変わらないそうだが、彼の父親の仕事の都合らしい。

彼女は、その時以来ずっと心のどこかで、彼の事が気になっていた。

 

とにかく、結婚を前に、もう一度彼に会って、心の中のモヤモヤをすっきりさせたいので、彼を探してほしい。

結婚式の日時はまだ、決まっていないが、婚約者は、早く式を挙げたいから、家族だけで、来月にも挙げようとやる気をだしているそうだ。

彼女としても、別に盛大な結婚式に憧れているわけでもないのでOKした。

 

調査期間は最大でも約1ヶ月。

私たちはお正月休みも程々に、初恋の彼を探す調査に着手した。

 

行方調査の調査方法はまず、大きく2つに分かれる。(以下、“初恋の人”を対象者と記す。)

① 対象者に探している事が知られてもいい場合

② 対象者に探している事が知られてはいけない場合

勿論、①の調査方法の方が、調査員が動きやすく、調査が成功する確率も②に比べると遥かに高い。

私たちとしても、①の方が、堂々と動けるので調査はやりやすい。

何と言っても、対象者を見つけないことには成功報酬を受け取れない。

 

ただ、依頼者の多くは②を選ぶ。わざわざ探偵に依頼して、探している事を出来る事なら隠したい、ばれたくないと思うのは自然な事だろう。

 

しかし、今回の依頼者は、①を選んだ。

相手に探している事がばれてもいいので、見つかる確率の高い方を選んだ。

「きっと、向こう(対象者)も私に会いたいはずだ・・・」と、何かそうであってほしいと願っているような表情で言っていた。

 

調査員はまず、依頼者からもらった情報の整理をする。

イ.対象者の名前

ロ.対象者の両親と姉の名前(これは恐らく)

ハ.対象者の生年月日

ニ.対象者が当時住んでいた住所

ホ.対象者の当時の写真

ヘ.対象者の当時の担任

ト.当時の共通の友人について

チ.対象者が通っていた塾について

 

この中で、

ロ.対象者の両親と姉の名前(これは恐らく)

は、情報として省く。

確実な情報以外は、たとえ結果的に正しい情報だったとしても、現段階では、参考にしてはいけない。

20年近くも前の記憶なので、依頼者が正しいと思っていても、探偵は鵜呑みにしてはいけない。

もし、その情報が間違っていたら、見つかるものも見つからなくなる。

探偵5ヵ条にあるように「先入観を捨て全てを疑え」を忘れてはならない。

 

参考までに探偵5ヵ条を記載しておく。

 

探偵5ヵ条(株式会社J.P.A.グループ)

一、 いつ何時でも探偵であれ

一、 先入観を捨て全てを疑え

一、 常に冷静でなければならない

一、 日々成長せよ

一、 我々はクライアント様の人生を背負っていると思え

 

 

 

調査初日

 

調査員は、依頼者からの情報の中で

ニ.対象者が当時住んでいた住所

から調査をはじめる事にした。

 

依頼者の話では、対象者家族は当時、一戸建てに住んでいたとの事なので、調査員は、

法務局に行き、対象者家族が住んでいた住所(地番)の土地・建物について調査したところ、早速、情報があった。

 

対象者が依頼者の前から居なくなった日の約5か月後に、土地と建物の売買契約があり、所有者が変更されていた。

対象者と同じ姓の人物(対象者の父親だろう)から、聞き覚えのない人物に変更されていた。

依頼者が記憶していた対象者の父親の名前とは、1文字違いだけだった。

 

調査員は、早速、対象者の父親の名前をインターネットで検索。

インターネットで検索して、情報が見つかる事なんてごく稀だが、この作業をとばすわけにもいかない。

インターネット上には、沢山の同姓同名の人物がいる。

この中で、推定年齢や家族構成、仕事内容や勤務地などを参考に、同一人物である可能性が高い人物だけピックアップすると、11名に絞る事ができた。

 

この11人からいくつかのキーワードを選出し、依頼者に聞き覚えがないか、チェックしてもらう。

行方調査で結果を出すには、このような細かい作業を繰り返す事が成功する秘訣でもある。

 

調査員は、依頼者に電話でキーワードをゆっくりと伝えていく。

20年近くも前の記憶に引っかける作業なので、ゆっくりと依頼者にも思い出してもらう。

すると5つ目のキーワード「○○○○○株式会社」に依頼者の記憶が引っかかった。

「そういえば、彼の父親の会社がそんな名前だって聞いた事があるような気がする。」

結局、記憶に引っかかったのは、「○○○○○株式会社」だけ。

 

インターネット検索を行った時も「○○○○○株式会社」は結構出てきていた。

「○○○○○株式会社」の社長が対象者の父親と同姓同名だったのだ。

 

調査員は、早速、「○○○○○株式会社」について調査を開始した。

 

手始めに、法務局で「○○○○○株式会社」の登記簿謄本を入手する。

登記簿謄本には、会社に関するあらゆる情報が記載されていて、探偵にとってありがたい情報源だ。

だが、今回はただの情報源だけではなかった。

登記簿謄本の中に、調査員の目を引き付ける情報があった。

それは会社役員の欄。

代表取締役に対象者の父親の名前。

その下に取締役の名前がある。

そこに、対象者の名前があった。

こんなにも早く対象者の名前を目の当たりにする事は稀で、調査員は驚きを隠せない。

 

対象者は、父親の会社の役員を務めていた。

 

ただ、書類上というだけで、実際には働いていないというケースも世の中には多く存在する事を調査員は知っていた。

なので、現状を依頼者に報告する事はまだやめておこうと、高ぶる気持ちを押さえ、次の調査へ着手する。

 

調査員は、「○○○○○株式会社」の所在地で、実際の会社の規模、社員数、社員の動きなどを調査する事にした。

この中に対象者がいる事を切に願い、張り込みを開始する。

 

なにも張り込みなんてせずに、堂々と会社に行き、調査員の身分と対象者の名前を告げ、事の経緯を説明し調査をすれば、成功するじゃないか。依頼者だって、相手に探している事が知られてもいいと言っていることだし・・・。

 

と思う方もいると思うが、それでは、プロの探偵の仕事ではない。

依頼者が調査成功のためだったら、相手に探している事が知られてもいいと言っていても、

相手に知られることなく調査出来る可能性があるなら、そうすべきだ。

それが、依頼者のためになる。

 

幸いにも「○○○○○株式会社」はオフィスビルの1階にあり、出入口が通りに面している。

調査員は、出入口が見える場所に車を停車させ、車内から「○○○○○株式会社」の出入口にピントを合わせ、撮影を始める。

 

張り込み・撮影を始めて3時間程で、会社に出入りする5名の人物の顔が撮れた。

これ以上、この場所に車を止めていると周囲から怪しまれる可能性もあるので、今日はこのあたりで切り上げようとしたその時、「○○○○○株式会社」から2名の男性が出てきた。

 

1名は60代前後の男性。推定身長170㎝。白髪で少し禿げあがっている。まるでピシッと音がするかのようなスーツに身をくるみ、革靴を鳴らしながら歩いている。

 

もう1名の男性は、30代前半。推定身長180㎝。体のラインに沿った細身のスーツを着こなし、革製のビジネスバックを片手に持ち、姿勢正しく半歩後ろを歩く。

 

調査員は、ピンときた。先を歩く男性は社長だ!もう1名の男性は、もしかすると・・・。

 

調査員は、急いで車より下り、2人の男性を尾行する。

 

調査員は、2人を尾行しながら、本部に連絡し、車両の引き上げ作業を仲間に頼む。

この間、車は無人状態になるので、駐車違反の切符を切られる事は、よくある事だが致し方ない。

 

男性2人は、駅前の寿司屋に入った。

調査員は、外から店内の様子を探ろうとするが、中は全く見えない。

判断を仰ぐため、本部に連絡し、協議の結果、店内に潜入し、様子を探る事になった。

その間に、別の調査員が、店外で張り込みを行い、いざという時に備える。

 

店内は満席に近い状態で、2人はカウンターの一番端に座っていた。

調査員は、偶然にも空いていたカウンターの端から4番目の席(端から順に、社長・対象者かもしれない男性・40代後半の男性・調査員)に座ることが出来た。

 

着席すると同時に、おしぼりが運ばれてきて、店員が「お飲み物は何にいたしましょう」と尋ねる。調査員は、「生ビールを一つ」と言うのを我慢して、「温かいお茶を下さい」と小さな声で注文をした。

 

調査員は、出来るだけ2人の会話に集中したかったので、注文回数が1回で済む、握りセットメニューの松・竹・梅の梅を注文した。毎回、食べたいものを注文し、目の前で握ってもらえるのが、寿司屋の醍醐味であることは、重々承知している。

しかし、今は仕事中。握りセットメニューの松・竹・梅とあったら、竹を注文する人が多いのが日本人の特性であることも知っている。竹が値段的にもネタ的にも一番満足感が得られるらしい。

調査員も、個人的に寿司屋に来ていて、握りセットメニューから選ぶのであれば、竹を注文するタイプの人間である。

しかし、やはり今回は仕事である。この寿司屋の会計も調査経費で、結果的には依頼者の支払いになる。安いに越したことはない。

 

調査員は、寿司をゆっくりと食べながら、2人の会話に耳を傾ける。

店内は騒がしく、会話内容を聴きとる事は困難な状態だが、集中すると、うっすらと単語が聴こえてくる。

 

社長「・・しっかりしろ・・」

社長「・まったく・・」

社長「お前・悪い・・・」

 

どうやら、30代前半の対象者らしき人物が社長に説教をされているようだ。

 

社長「だから・・・」

社長「・・離婚・」

社長「・しょうがない・・・」

 

調査員の頭の中「離婚!?」

 

調査員は頭の中を整理しながら、寿司を口に運んだ。

 

2人はどのような関係なのだ。

社長と社員が話しているような感じがしない。

しかも内容が離婚?

やはり父親と息子?

ということは若い方は対象者・・・。

 

とその時、調査員と対象者らしき人物の間に座っていた40代後半の男性が話かけてきた。

「あんた、なんか難しそうな顔してるね。」

「仕事で嫌な事でもあったのか?」

「一杯おごるよ」

と次から次に話かけてくる。

 

調査員は100点満点の笑顔で、「ありがとうございます。でも、今日のところは遠慮させていただきます。また機会がありましたら、その時は是非。今日は良い事が沢山ありました。」と言って、会計を済ませ、店を出た。

 

調査員は、あの男性が対象者だと確信していた。

 

店を出た調査員は、店外で張り込みをしていた調査員と合流し、これまでの調査結果を

報告し、情報を共有する。

ここでバトンを渡す。

 

寿司屋に入った調査員が、このあと、対象者らしき人物を尾行して、自宅を突き止める事も可能だろうが、店内で見られている可能性もあるし、ましてや、代わりの調査員がいるにもかかわらず、無駄なリスクを負って、調査を行うのは、やはりプロの仕事ではない。

 

約2時間が経過したころ、2人が寿司屋から出てきた。

店先にて少しの会話を交わしたあと、対象者らしき人物がタクシーを止め、社長が乗り込む。

社長を乗せたタクシーは大通りを左折し、見えなくなった。

対象者らしき人物は、タクシーが見えなくなるまで、見送ると、くるっと方向転換をし、

最寄り駅に向かう。

 

その後、バトンタッチした調査員が対象者らしき人物を尾行し、自宅を判明させた。

対象者らしき人物は、1回の乗り換えを行い、住宅街にあるマンションの302号室に入った。

そのマンションはファミリータイプの分譲マンションであることが一目でわかった。

 

翌日、調査員は今回の調査で大変お世話になっている法務局にまたお世話になりに来た。

昨日の調査で、対象者らしき人物が入ったマンションの302号室の所有者を調査する為だ。

 

建物に関する登記簿謄本を取得すれば、所有者が判明する。

 

調査員は期待を胸に、登記簿謄本に目をやった。

予想通り。

そこには、対象者の名前があった。

やはり昨日の30代前半の男性が対象者だった。

 

調査員は、この瞬間がたまらなく好きだった。

調査が成功した瞬間・・・。

頭の中からジワッーと何かが湧き出てくるこの感じ・・・。

 

早速、オフィスに戻り、依頼者に電話をする。

依頼者は、今日は仕事で、終わるのが午後8時位になるので、午後8時30分で良ければ、伺いたいという。もちろん承諾した。

 

午後8時20分、約束の時間の10分前に依頼者はオフィスにやってきた。

初めて会った元旦の日と同じように、ベージュのコートを着た彼女は

「ありがとうございました」

とゆっくりと、そして深々と頭を下げた。

 

深炒りの珈琲を飲みながら、依頼者への報告は進んでいく。

 

対象者の画像を見た時、彼女の眼には薄っすらと涙がにじんだように見えた。

推論だが、対象者は何かの理由で離婚をする可能性がある事も告げた。

彼女の表情は変わらない。

 

報告を終えた調査員に対して、彼女は再度深々と頭を下げ、話を始めた。

「今回は本当にありがとうございました。彼の顔が見る事ができて満足しています。私もあれからいろいろと考えて、彼に会うべきか、会わないべきか、迷っています。彼には彼の人生がありますので、私の個人的な感情で、動いていいものかと・・・。これからどうするか、ゆっくりと考えたいと思います。」

と言って、オフィスを後にした。

 

調査員は、

「もし、彼に会うと決めた時は、私達が仲介役を務めさせていただく事も可能です。その時は、遠慮せずに連絡を下さい。」

と告げてあるので、彼女からの連絡を待つことにした。

 

数日後、オフィスの電話が鳴った。

 

彼女からである。彼女はいつも通りゆっくりとした口調で話をする。

「今回は本当にお世話になりました。ご連絡が遅くなってしまいまして、申し訳御座いません。なかなか心の整理がつかず、自分でもどうして良いのかわからなくて・・・。でも、昨晩、ようやく決心がつきました。彼に会うことはやめます。彼が元気そうにしている事がわかったので、それだけでいいです。私は結婚して幸せになります。でも、浮気調査を依頼する時は、お願いしますね。」

と明るい声で言って電話を切った。

 

オフィス内では、深炒りの珈琲を飲みながら、調査員同士が会話をしている。

「とにかく今回の調査は、大きな壁もなく、スムーズにいった。」

こんなにもあっさりと調査が完了するのは、本当に珍しいケースである。

「俺の日ごろの行いが、よっぽど良かったんだろうな。」

と調査員が言うと、他の調査員達が一斉に、

「お前じゃなくて、依頼者の日ごろの行いが良かったんだよ!」

と大声で叫んだ。